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関本選手引退セレモニー 10.4(vs 広島)

 
10月4日はタイガース生え抜き・関本選手の引退セレモニーでした。
(※記事の中で紫色部分はセッキーの引退会見コメントです)
 
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CS出場争い中の対カープ戦でしたし、
甲子園でのシーズン最終戦ということもありギッシリ。


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先発は藤浪選手でしたが途中で能見選手へ交代
いつみても清潔感あふれる姿


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↑最近は飛ばさず見てます(というか、写真撮ってる)
写真で見ると飛ぶ前のほうがキレイに思える


8回裏、ネクストにはセッキーの姿が

『「行くぞ」と言われると瞬間的にスイッチも入りますし、ネクストの段階で声援も聞こえなくなるくらい集中しますので、それが力になっているのではと思います』
 
 
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代打コールに大歓声

ファンの声援が無くなったら辞めようと思っていたのですが、
最後まで大きい声援をいただいて本当に感謝しています。


いつものようにバットを短くもちます
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ピッチャーゴロでした。

ヒットを打つと、1塁ベースを踏んだ後くらいにようやく歓声が
  聞こえるのですが、毎回鳥肌が立つくらい本当に嬉しかったです』


嬉しいことに、守備にも入りました。
和田監督ありがとう
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まだまだやれるのに。


『最後打てなくなって野球を嫌いになって辞めるのは嫌だった』



試合後、関本選手の引退セレモニーが行われます
(ちなみに試合はボロ負けでした…)

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セレモニー前に
グラウンドを整える阪神園芸さん










「バッター 関本 背番号3」のアナウンスでセレモニースタート
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 小学校1年生から野球一筋31年、ここ聖地甲子園でこれだけ多くのファンの皆さんの前で引退できる僕は幸せです。このような盛大なセレモニーを準備してくださった阪神タイガース球団の皆さん、本当にありがとうございます。また、僕のために残っていただいたカープファンの皆さん、ありがとうございます。

 ここまで大好きな野球を続けてこられたのも皆さんの支えがあったからです。いいときも悪いときも支えてくれた家族、友人、知人のみんな、ありがとう。大きく生んでくれた、そしていつも応援してくれるお父さん、お母さんありがとう。僕の両親は僕をプロ野球選手にするのが夢でした。19年間、必死にもがきましたけど、少しは親孝行できたんじゃないかと思っています。

 この19年間には、ケガの多い僕のために体のケアをしていただいたトレーナーさん、来たボールをただ打つだけでは打てない僕のためにサポートしていただいたバッティングピッチャーの皆さん、スコアラーさん、いつも僕たちのために最高のグラウンドコンディションを作ってくれた阪神園芸の皆さん、皆様一人一人の支えがあって今日までこれました。本当に感謝しかありません。

 この甲子園球場にお集まりの皆さん、全国で応援してくれたファンの皆さん、今まで一番力になったのは皆さんの大声援です。先日の引退会見でも言いましたが、ファンの皆さんの声援がなくなったら辞めようと決めていました。しかし最後の1打席まで熱く大きな大声援、本島にありがとうございます。

 阪神タイガース、背番号3、関本賢太郎は今年でユニホームを脱ぎますが、これから始まる第2の人生は皆さんの支えていただいた気持ちを胸に必死のパッチで歩んでいきたいと思います。そしてまたいつかこの甲子園に帰ってきたいと思います。最後に一つだけ言わせてください。今年10年ぶりの優勝は逃してしまいましたが、これからも阪神タイガースに熱い熱い熱いご声援、どうぞよろしくお願いします。
 
スピーチはいろんな人に感謝を伝える内容でセッキーらしいなと思いました。
和田監督が選手を引退するときのスピーチと少し似ていましたね。
セッキーが打席に入るときに歓声を送らない阪神ファンなんていてないよ。



広島・新井(貴)選手、阪神・鳥谷選手からの花束贈呈のあと
子どもちゃんたちからの花束贈呈

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イメージ 11 自慢のパパですね
 

        福原選手は号泣でした
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   タイガースナイン1人1人と挨拶を交わした後グラウンド1周
   カープファンも残ってくれていて歓声を送ってくれました。

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背番号と同じ回数(3回)宙に舞いました。

 
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 『野球は今でも大好きです』